大島弓子の漫画について、熱く語ってみました
先日、アマゾンプライムで「グーグーだって猫である」を観た。
(宮沢りえさん主演のテレビドラマ版の方です)
原作を描いたのは、漫画家の大島弓子さん。
大島先生と猫たちの日常を描いたエッセイ漫画だ。
(ドラマ版は、猫よりも人間主体で描かれています。名前も「小島先生」で登場。)
この人の漫画は子供の頃から好きで、いまも本棚にたくさん並んでいる。
こんな感じ。
分かる人には分かるサンコミック(「ナウシカ」が目立ってますが)
分かる人には分かるチェリッシュブック、複製原画集など。
(尚、リアルタイム世代ではないので、古本屋で少しずつ集めました)
初めて読んだのは、この「綿の国星」。
当時はまだ小学生だったので、内容云々より、ただただ絵が可愛いファンタジー漫画として読んでいた。
猫耳を付けた人間の姿という、当時ではまだ珍しい猫の擬人化のイラスト、そして登場する男性がデビット・ボウイみたいにカッコいい、それだけで良かった。
正直、内容はよく分からなかったのだ。
大人になってから気付いた。
これは子供向けの作品じゃない、むしろ大人が読んで深く深く感じ入る作品だと。
哲学的というのか、人間や猫の心理描写、捉え方、世界観、全てが独特。
でも少女漫画なのだ。
花とゆめコミックなのだ。
だから当然、当時の私のようなガキンチョも読んだ。
頭で理解できずとも、大島ワールドの洗礼はじわりじわりと確実にガキンチョの私の中に根付き、芽吹き、成長していった。
ここ何年か、むかしの漫画の世界から遠ざかっていたので、久しぶりに触れた大島ワールドが懐かしくて仕方なかった。
それこそ子供の頃に感じた感覚、まだ大島作品を頭で理解していなかった頃の感覚がよみがえってきた。
いかに心の奥の方にしまわれたままだったか、ドラマを観るにつれ徐々に気付いていった。
この人の描く多くの作品は、いっけん非日常的なファンタジーのように見えるけれど、実は日常の中にこそ、その原石が散りばめられていると分かる。
いたって普遍的な日常のそこかしこ、毎日同じことの繰り返しでも、それは見る角度を変え、フィルターを変えるだけで、いかようにも違う味わいになる。
特に「綿の国星」や「グーグー~」は、そういうものに気付かせてくれる。
その他、現実的な重いテーマの作品もたくさん描いていらっしゃる。
漫画家大島弓子にしか出せない、小説の斜め上をいくような深い味わいがあり、いつまでも心に残る作品ばかりだ。
(本当は言葉にするのが難しい(笑))
物心つく頃、自分の内面世界が形成されていく過程で、この人の作品に触れられたことは、ものすごく貴重な体験だったと思う。
最後に、小学生の頃、合わせて夢中になった谷山浩子さんのCD写真を。
(当時は録音カセットテープで聴いてました)
アルバム「ここは春の国」の前半の歌は、「綿の国星」を題材にしている。
この二人の世界が、心の中で上手い具合にリンクしていたのが、とても心地よかった。
最後まで読んで頂きありがとうございます。