わけの分からない体調不良、孤独からの脱出
今週のお題「人生最大の危機」
自分の人生に最も影響を与えたピンチは、27歳で経験した「体調不良」だろう。
「病気」と呼ぶべきなのか、よく分からない「体調不良」だった。
症状はある日突然やってきた。
一人暮らしの家で、夜TVを見ていたら、急に動悸がし始め気分が悪くなった。
お腹を下したので、最初は食あたりか胃腸の病気かと思ったが、横になっても全く回復しない。その後病院で検査をしてみたが、どこにも悪いところは無かった。
つまりは自律神経系の症状だったわけである。
しかし当時のお医者さんは、こういった症状に対しはっきりとした見解を示す人は少なかったので、正確な病名も原因も分からなかった。
単にストレスや生活習慣が原因だろう、ということくらい。
そこから、この症状との長い長い旅が始まった。
具体的には、下痢、吐き気、頭痛、めまい、動悸、血の気が下がる、などがあり、その時によって出る症状が様々入れ替わった。
そして困ったことに、電車の中、劇場、駅、飲食店、などに入ると、緊張しているわけでもないのに勝手に心拍が上がり、血の気が下がり、気分が悪くなるのだった。
それは、どういうわけか気の置けない家族や友人と一緒の場合でも起きた。
わけが分からなかった。
自分の体に何が起きたのか、誰よりも自分が上手く人に説明できないことが、何よりつらかった。(これが一種のパニック障害だったと分かるのは、かなり後のことである)
当然、家族からも友人からも理解はされず、離れていった友人もいた。
多くの人からは「わがまま病」のように見られ、「ただ具合が悪いと思い込んでいるだけ」と言われた。
生活習慣や食事に気を付け、心療内科の薬を飲んでも全快はせず、だが最初の発症からは少し回復したのでかろうじて動くことは出来る、そういう中途半端な体調状態が何年も続いた。
未経験の人からすれば、確かにその中途半端さは不可解だろう。
人から理解してもらうことは、すでに諦めていたので、仕方なく毎日ある程度の吐き気を抱えたまま仕事に行き続けた。
が、ついにある日、会社で倒れたのをきっかけに仕事を辞めた。
人の心は離れていく、仕事は失う、社会に居場所は無くなる、お金も無くなる、体の調子は悪い、当然ストレス発散どころではない・・・よく生きていたなと思う。
まあ、住む家を無くすところまでは落ちなかったし、最終的には見かねた親が実家に戻ってきなさいと言ってくれたので、まだ救いがあった。
そしてその頃から、回復に向けて本格的に色んな行動を始めた。
親のすねをかじりながら、仕事は3年間ほど休んだ。代わりに毎日こつこつと散歩し、徐々に外の環境に体を慣らしていった。
幸いなことに、私は外の空気を吸うことが好きだったので、ひきこもりにはならずに済んだ。
どうしてもまたカフェに行ってコーヒーを飲みたい。
外国に行って美術館巡りをしたい。
映画の主人公のように元気にカッコよく街を歩きたい。
まだまだやりたいことが沢山あるんだーーーーという思いがあったので前を向けた。
こういう時、映画や芝居や音楽が好きで本当に良かったと思う。
感動する、好奇心を持つということが、自分を外の世界に連れ出してくれた。
人から理解されないことが一番つらかったが、この経験で、自分という人間が人一倍孤独に強いことに気付いた。
ものすごくマイナスな経験なのだが、逆にたくさんの恩恵や気付きを受取ることもできた。
もともと薬を飲む習慣がないので、心療内科に通うことは早々に止めた。
代わりに体について自分で勉強を始めた。
アロマテラピーや漢方などの代替療法、食品添加物や糖質の影響についてなどなど。
今の日本ではなかなか実践が難しいものもあるが、知識として「知る」だけでも違うと思うのだ。
その後いったん社会復帰を果たし、普通のフルタイムの仕事に就くことができた。
発症してから7年後のことだった。最終的に力になってくれた親に感謝である。
その後も時折、以前の症状の予備軍的感覚を感じることがあったが、薬など服用することなく事前ケアできている。
つらい症状を味わうことで、以前よりも自分と向き合い、自分の直感を大切にするようになった。
すると、自然と怖いものも少なくなり、会社にも人にもテキトーに甘えるようになった。
しんどいことは出来るだけしない。
そうやってどんどん自分をを解放していき、ある日ふと、自分が思っていた以上に根っからの自由人であることに気付きはじめた。
そうしてその流れで、ついにサラリーマンという職業を自分から手放した。
私は会社組織の中で大人しくやっていけるタイプじゃない・・・(気付くのめちゃめちゃ遅い~~!(笑))
真面目な日本人には、私と同じ経験を持つ人は多いだろう。
まだまだ理解されにくい症状なので、なかなかカミングアウト出来ないのだと思う。
人によって出る症状も様々だし。
だが、日本は孤独な人間でも、どうにかこうにか生きていく方法がちゃんとある。
身内の助けがなくとも、屋根なしの場所で住むことになっても、それでも這い上がる方法はちゃんとある。
自分のような人間も「生きていていいんだ」と、素直に感じられることが今はとても嬉しい。
今回は暗い話になりました(笑)
読んで頂きありがとうございます。
痴漢の思い出さえ吹っ飛んだ、素晴らしい映画「中国の鳥人」三池崇史監督
「中国の鳥人」を初めて観たのは、もう20年以上前になる。
今は無き名古屋のミニシアター「ゴールドシルバー劇場」で初公開された時だった。
「ゴールドシルバー劇場」・・・もう本当に大好きな映画館で、あしげく通った思い出の場所。私にとっては、まるでニューシネマパラダイスのような存在だった。(そういえば映画「ニューシネマパラダイス」もここで観たんだっけ)
当時はこの映画の監督、三池崇史さんの名前も知らず、ただ予告編の映像に惹かれて観に行ったのだった。
実はこの日の観覧中、なんと痴漢に会ってしまった!
その日は一人だったので、目を付けられてしまったのだろう(まだ若かったし)。
劇場内は数名のお客さんしかおらずガラ空き状態。にもかかわらず、そのサラリーマン風の中年男性は私のすぐ隣に座ってきた!
こいつなんか変・・・と思いつつも上映開始。
しばらくすると、やはりお決まりの行為をしてきたので、勇気を振り絞って「止めてくれませんか?」と言った。
どんな怖い反応が返ってくるかと、心臓バクバク状態だったが、せっかくの映画鑑賞の時間を台無しにされたくなかった。
だが意外にも、その痴漢の反応はおとなしく、「あ、はい」と間の抜けた返事をしてきた。
あれ、こいつ痴漢行為しときながら怖気付いてる?
そこですかさず「他の席へ行ってくれません?」と言い返してみた。
するとその男は、素直に私から離れていったのである。
劇場を出たのか、他の席で映画を見続けたのかは分からない。
気の小さい痴漢で良かった・・・まだ上映開始間もないタイミングで良かった・・・
こんな出来事があった後、普通なら見た気がしないまま終わってしまう、というのがパターンだろう。
しかし三池ワールドは、そんな私の傷心をいとも簡単に吹き飛ばし、喜びで満たしてくれた。
映画の舞台は中国雲南省の秘境の村。そこには鳥人伝説があり、電気のない生活を送る人々が住んでいる。
そんな場所に、ヒスイの鉱脈を求めて日本人ビジネスマンの和田さんが向かう。
道中、訳あって同行することになったヤクザの氏家さん、現地通訳の沈さん、この全く共通点のない男性3人を中心に物語は進んでゆく。
和田さんと氏家さんはギクシャクしながらも、序盤から面白いデコボココンビぶりを見せてくれる。それをなだめる沈さんは、腰が低く日本語も堪能なのだが、なぜか二人を「貴様」と連呼する(どうやら漢字から「貴様」を日本語の最上級の敬称と勘違いしているらしい)。
そこかしこにユーモアが溢れていて楽しい。
そして、やっとこさ到着した目的の村で、鳥の羽を付けて遊びまわる子供たちと一人の少女に出会う。
訛りのある英語でアニーローリーを口ずさむ少女、その歌と声に惹かれる和田さん。
なぜ外部の人間との交流がないこの秘境の地で、彼女はこの歌を知っているのか。
それがこの村の鳥人伝説を解き明かす鍵となっていく。
そして次第に二人の日本人は、この村にすっかり馴染んでいくのだった。
日本に帰国する前、二人は惜しむように背中に鳥の羽を付け、子供のように叫びながら崖から飛ぶ。
失敗して崖から這い上がるシーンは、可笑しくも胸にグッとくる。
村に来たことで、本来の自分に目覚めてしまった氏家さんは、その後ヤクザから足を洗い、本当に村の住人になってしまった。
ファンタジックな一面があるが、決してさわやか一色ではないし、お涙頂戴映画でもない。
たっぷりのユーモアとバイオレンスをお供に、冒険して帰ってきたような気持ちで映画館を出た。
これが私にとって初めての三池ワールドの思い出である。
映画があまりにも素晴らしすぎて、おかげで痴漢の思い出はコバンザメ程度の付属品のように残っているだけになった(笑)
それにしても、日本の痴漢は意外にも気の小さい輩が多い(と知るのはその後、さらに複数回の経験を積んでからのことだが。自慢にならない経験だよぅ。)
声を上げたり、顔を思い切り見てやると、びっくりして離れていくのである。
多分、何も言えなさそうな女性を見定めてやっているのだろう。
つまりは小学生の弱い者イジメと変わらない。
心のどこかに、相手を支配して満足したい、という思いがあるのではないか。
てか、ただ物理的に人の体を触っても、心が伴っていない接触なんて、本当の意味で満足は出来てないのではないか。
痴漢の話が変に哲学っぽくなってきたので、ここら辺でやめておこう。
私が男性心理をよく分かってないだけかもしれないし・・・(笑)
読んで頂きありがとうございます。
東京でカフェ巡り 三軒茶屋「SUNDAY」
前回に続き、東京でのカフェ巡りを引続き書いてみようと思う。
いやいや、これも自己投資よ、自己投資。
三軒茶屋「SUNDAY CafeArtRestaurant」
三軒茶屋駅と池尻大橋駅のちょうど中間あたりにある隠れ家的アートカフェである。
ここへ来た目的は、写真家の平間至さんの展示を見るためだった。
このカフェ「SUNDAY」の隣には平間写真館が隣接しており、展示はカフェの方で行われていた。
平間さん本人がいるかもしれない写真館が気になりつつも、こちらには特に用が無いので横目に見ながら素通り(笑)、カフェ内へ入った。
平日だったので店内は空いており、ゆっくりと写真を見ながら過ごすことができた。
平間至さんは、主に芸能人や著名人のポートレート写真を撮ることで有名である。
しかし今回の展示のモデルは、一般から募集した人ばかりだった。
写真館を経営していることからも分かる通り、普通に一般のお客様向けの仕事もしているのである。こういうところから、その人柄がうかがえ、お会いしたこともないのに勝手に親しみを感じている(#^^#)
写真館というと、動かずじっとしてベストショットを撮ってもらうイメージがあるが、平間さんの撮り方は全く違うそうな。
写真館の冊子にこんなことが書かれていた。(要約しています)
「まるでカメラを楽器のように抱え、被写体には自由に動いてもらい、撮られることを忘れるくらい緊張感から解き放たれた、その流れで音楽を奏でるようにシャッターを押していく。僕にとって写真を撮るという行為は、ひとつのライブなんだと思います。一人でも多くの人に、撮影という感動体験を味わってほしい。」
カッコいい言葉。これなら写真映りの悪い私でも、いい写真が出来るかも( *´艸`)
いつか撮ってもらいたいな。
お名前と作品を知ったのは、もう10年ほど前である。
だが、今回展示に行ったのは、私の好きな役者さんが展示会の紹介をしていたことがきっかけだった。(つまりミーハーな理由ですね・・)
多くの有名人からも非常にリスペクトされているのである。
どれも生き生きとした個性ある写真だった。
プロが表現する作品は、どんな分野であれ躍動感が違う。こういうものを出来る限り多く見ておきたい。
ランチに「ブランチプレート」を注文した。
スープ、サラダ、ドリンクも付いて1230円である。そんなに高くない。
野菜は塩味ベースでさっぱりとしており、とても美味しかった。
メニュー全体に、朝市で仕入れた鎌倉野菜や葉山契約農家直送の有機野菜などをふんだんに使用しており、材料にも味付けにもセンスの良いこだわりが感じられた。
シンプルながらも繊細なお味、お食事もアートに負けず本当に美味しい。
是非また来たいと思った。
最後に、道すがら見つけた味のある壁!
んーーー肉眼だともっといい感じに見えたんだけどな。
肉眼に勝るレンズはないのか?
私の写真の腕が問題なのか?
では、今回で東京のカフェ巡りは終わりです。
読んで頂きありがとうございます。
東京でカフェ巡り 池袋「梟書茶房」と「ブルーボトル池袋カフェ」
先日に続き、東京のカフェを2つ紹介してみようと思う。
1.エソラ池袋「梟書茶房」
「ドトールコーヒー」と「かもめブックス」がコラボしたブックカフェである。
東京へ行くたびに、必ず立ち寄るほどお気に入りの場所になっている。
英国図書館の様なカフェで、シャーロックホームズやビクトリア朝時代、ジェームス・アイヴォリー監督のイギリス映画などが好きな人には是非お勧めである。
何か物語が始まりそうなメニューブックなのだ。
そしてこの鍵は、退店時にレジで渡しお会計をするのである。めっちゃカッコいい。
ここは平日でも混んでいることが多く、なかなか希望の席に座れないのだが、この日は念願の窓際カウンター席に座れた!
窓際席はそれぞれ独立した造りなので、隣のお客さんが全く気にならない。
しかも、ソファ席のフロアからは1段高いところにあり、間には手すりまで付いているので、造りはカウンターでもVIP感が半端ない!
しかも、そこかしこに本棚が並び、一人静かに図書館のように過ごせる。
本とカフェが好きな人にとっては、たまらない癒し空間、リーズナブルに長時間過ごせるプライベートルームの様なお店である。
そう、高級感のある造りなのだが、お食事の値段は高くない。
飲み物単品だと500円~なので少し高めだが、それ以外はお得である。
日替わりランチ1080円
パスタ類850円~
サンドイッチ類600円~
ケーキ類500円~
そしてアルコールもある!500円~
さすが庶民の味方ドトールである。
もちろん本のお値段も然り。
閉店間際に立ち寄ったのだが、夜遅くの図書館の雰囲気はとても素敵だった。
2.ブルーボトルコーヒー池袋カフェ
池袋の安ホテルで宿泊し、翌朝立ち寄ったのがブルーボトル池袋カフェ。
チェーン店カフェの中で、個人的に一番好きなのがブルーボトルである。
ちょっとお値段高めなのだが、値段に見合うだけの味をきちんと提供してくれる。
(特にワッフルは超おススメ!500円だが食べたら忘れられない美味しさ。他店のワッフルが色あせてくる(笑))
ブルーボトルは、他のカフェとは全く違う価値観や経営理念を持っている気がする。
やたらサービスしまくることもないし、スタバのように店舗を増やしまくることもないが、着実にファンがつくお店だと思う。
池袋カフェはこじんまりとしており、座席も少なめだった。
二人掛け席でまったりと過ごしていると、外国人観光客らしき二人の女性が入ってきた。
座席が無い様子に少し戸惑っているようだったので、私は一人席に移動した。
目が合って、私が席を譲ったことに気付いてくれ、お互いニコッとした。
こういうアイコンタクトなやり取りって好きなのだ。
見た目は日本人の様なお顔立ちだが、店員さんとは英語で会話、お連れさん同士ではフランス語らしき言葉で話していたので・・・う~ん、歴史に詳しくないのだが、アジア圏のフランス語を公用語として使う国の人だったのかも知れない。
ブルーボトルは確かアジア圏では、まだ日本にしか無いはず。(今年、韓国に初出店予定らしいが)
せっかくはるばる日本に来てくれたのだから、少しでも心地よく過ごして欲しいものだ。
窓から見える池袋公園を眺めながら、至福のひと時を過ごした。
そして、次の至福のひと時を求め、また店を移動するのである。
つまりこれを繰り返すと、ほとんどずっと至福の時を過ごしていることになる。
人生これでいいのだ。(現在、失業中ぅ~♬)
<本と珈琲 梟書茶房(フクロウショサボウ)>
〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1
Esola(エソラ)池袋4F
10:30~22:00
<ブルーボトルコーヒー池袋カフェ>
〒171-0022 東京都豊島区南池袋2-23-7
8:00~19:00(平日)
9:00~19:00(土日祝)
東京でカフェ巡り 神保町「神田白十字」
いつも読んでいただきありがとうございます。
はてなブログをまだ使いこなせていないようで、ブックマークやブログに星を付けて頂いても、どこを開けばいいのか分からず、反応を返せていない方もいてモウシワケナイデス(>_<)。
元々がアナログ人間なのですよ~~さっさと慣れろや~てね(笑)。
では、今日のブログ、いきます。
最近、自分の将来のためになるものならば、割と惜しみなく自己投資するようにしている。
今回は少し値段の高いセミナーだったが、その分内容は非常に濃かったので、はるばる関西から参加して本当に良かったと思う。
しかししかし、せっかく東京に来たので、大好きなカフェ巡りもたーくさん経験してきたのだ。 ^^) _旦~~
今日はそのうちのひとつ、神保町にある「神田白十字」をご紹介。
東京メトロの神保町駅から徒歩数分のところにある老舗の喫茶店である。
この通り、非常にレトロな雰囲気のお店だった。
終戦直後から営業しており、かつては三島由紀夫なども利用した場所だそう。
私が訪れた際は男性店員さん2人のみだった。
まだ開店時間直後な上、平日だったので、ほぼ貸し切り状態で過ごせた。
カレーライスとコーヒーのセット、そして薄紅葵ブルーティを注文。
次はいつ来れるか分からないので3つも注文してしまった・・・(笑)
しかし全部で1350円とリーズナブル。
カレーライスが濃厚でとても美味しかった。
私がバックパッカーの様なリュックを背負っていたので、旅行客とすぐ分かったのだろう、店長さんらしき人が何度か話しかけてくれた。
とっても個性的な店長さん(違ってたらごめんなさい)、見た目は泉谷しげると酒井敏也を足して2で割った感じ。
もう一人の若いお兄さん店員は、少女漫画に出てきそうな「隣のお兄ちゃん」的な人だった。多分、学生さんかな。
どちらも親しみやすい感じの人だった。
お食事やお店の雰囲気以上に、実は一番印象的だったのは、この二人の会話の様子だった。
店長さんが店員さんに、材料の仕入れや仕込みの指示をしていたのだが、ただそれだけの会話から、この二人の信頼関係や気心の知れた感覚が伝わってきた。
恐らくは、雇い主とバイトという関係だと思うのだが、お互いの話し方、反応の仕方で、今どきのカフェではあまり見かけない、安心感のある人間関係がにじみ出ていた。
二人の会話が心地よくて、どこか面白くて、内心クスクスと笑ってしまった。
本当にドラマや漫画に出てきそうな、良い味のある人たちだったな。
もうひとつ面白かったのが、この会計伝票。
こ、こんな伝票があるんだ・・・(笑)
該当金額に丸を付けるのね。確かに店員さんの手間は省けていいかも。
全てがオリジナリティあふれるお店だった。
ちょっとだけ異次元にタイムスリップしてたかもしれない(笑)
最後に、今日のブログを書いたカフェ「御影コーヒー」。(東京ではないです)
阪神電車の高架下にあるので、時々電車のゴォーという音がする。
でも、店内にはおしゃれなジャズが流れている。
このふたつの音が、違和感なく調和された不思議空間である。
旅の続きは、また次回載せます~
黒沢清監督 映画「旅のおわり世界のはじまり」
映画「旅のおわり世界のはじまり」を映画館で観てきた。(ネタバレ有り)
黒沢清監督は昔から大好きだったのに、映画館で観たのは今回が初めて。
映画好きなくせに、特にミニシアターなんてもう、頬ずりしたいくらい好きなくせに、ある時期からチケット代を出し渋っていたというね・・・(笑)
単にお金を出す優先順位を間違えていたことに気付いてからは、割と臆することなく通っている。週1ペースで鑑賞していた20代の頃の様にはいかないけれど、再び映画館人生を始められて嬉しい。
今回の作品の舞台はウズベキスタン。昔からシルクロードの中継地点として栄えた国だ。
そこで、日本のバラエティ系レポート番組の撮影隊が、無気力な雰囲気で取材しながら各都市を回るという人間ドラマである。
主人公であるレポーター葉子役の前田敦子さんの存在感がとても素敵だった。
AKBのあっちゃんとしての認識しかなかった女優さん。パンフに載っていたアンニュイなポートレート写真もいい感じ。
本作は、現地人の視点から見た日本人の姿、というのも兼ね備えていて面白い。
葉子は撮影オフの時間になると、ひとり雑多な街へ食糧調達に出かける。言葉はほぼ通じないし、外国人ゆえにただ歩くだけで目立ってしょうがないので、どこか怯えて心をシャットダウンしている感じ。
また、ウズベキスタンという国にも全く興味はなく、現地人にも撮影隊にさえも一線引いている。自分の本来の居場所はここじゃない感。
いつも心にあるのは、日本にいる彼氏と歌手志望という自分の夢だけ。
どこかふらふらフワフワ浮いた存在として登場する。
そして、心の中も街の中でも、彼女は迷子の天才だった。
怯えているくせに、なぜかアヤシイ場所にいつの間にか迷い込んでいたりする。
迷う前に普通引き返すだろ・・・と思わず突っ込みたくなるような無頓着な散歩の仕方をする。それがとても面白いのだ。しかも、その描き方が全くワザとらしくない。
散々迷わせておいて、当然何かアクシデントが!・・・となるでもなく、最後はちゃんと普通にホテルにたどり着いている。
監督、こういうところ美味い、もとい、上手いです。
また別のシーンで、通訳役のウズベキスタン人青年が、第二次世界大戦時にソ連軍の捕虜だった日本兵が建設に携わった、「ナヴォイ劇場」について熱く語る所があるのだが、ここでふっと違和感を感じるのである。
青年の話を聞いている主人公を含め日本人撮影隊は、ウズベキスタンに特に興味を持つでもなく、ただ目の前の仕事をこなすことにしか関心がない。
そこに、こういう歴史的な重いエピソードを、現地人青年に訛りのある日本語で語らせるという違和感の描き方が、とても素敵だと思った。そして、道徳的な押しつけがましさも全くない、さらりとした味を出している。
こういう表現をする黒沢監督という人は、恐らくとても繊細なのだろう。
そして、物語が進むにつれ、葉子の心は徐々に開かれ軽やかになっていく。それと共に、撮影隊たちの結束も固くなり、ウズベキスタンという国への思いも深まっていく。
その橋渡し役となった現地人通訳を演じた俳優さんが素晴らしかった。
アディズ・ラジャボフさんという現地の国民的大スター。日本語は全く話せないのだが、今回の映画のために日本語の長ゼリフを覚えたそうだ。
カメラマン役の加瀬亮さんは非常に味のある存在感で、本物の監督さんの様だった。
ディレクター役の染谷将太さんは「要は金だろ、金」的雰囲気丸出し、実に憎たらしくて良かった。
AD役の柄本時生さんは、ふっと現れて主人公を気遣うところがハマっていて、これまた良かった。
個人的に黒沢清作品は「ハズレ」と感じるものがない。
どちらかというとホラーやサスペンスのイメージが強い人だが、どんなジャンルを描いても、オリジナリティが高く、安心して観れる。
パンフに書かれていたキャストの柄本時生さんの言葉を一部引用させていただくと、「これは監督自身の人間性が影響しているのではないかと思うのですが、作品を意味ありげに見せるでもない、観客に何か語って聞かせるということがない」。
その通りだと思う。
強いメッセージがあるでもなく、かといって控え目というのでもない。
心の奥深くの微妙な場所に、ものすごい浸透の仕方をしてくる映画を作る人だと思う。
撮影日誌を読んでも、監督自身の心の広さがとても伝わってくる。
撮影は当然過酷だったようだが、心には余裕をもってモノ作りをするからこそ、観客が安心して観れる映画になるのだろう。
素敵だ、こんな人になりたい。
「旅のおわり世界のはじまり」お勧めです。
城崎温泉、仲居のお仕事の思い出
いつもブログを読んでくれる方、お星さまをくれる方、本当にありがとうございます。
文章を書いて校正するのが超絶遅いので、更新頻度が低いのですが、飽きずにコツコツ続けたいと思っています(^^)。
では今日のブログへ。
先日のブログで少し触れた、城崎温泉での思い出をひとつ書いてみようと思う。
そう、10年ほど前に城崎温泉の旅館で半年間、住み込みの仲居をしていたことがある。
冬の蟹シーズンの仕事だったため、毎日の天気は山陰地方特有の曇天ばかり。そして時々、雨、雪になる。もちろん雪深いことは承知だったが、晴れ間が滅多に見れないことがこんなにも辛いとは思わなかった。
太平洋側で育った人間として、太陽がいかに有難いものか、身に染みた。
普段、あまり人と関わりたがらない自分でも、こういう特殊な慣れない環境に入ると、自然と人との接点を求めるようになる。当時の同僚とは今はもう接触していないが、あの時だけの人間関係でも、それはそれで貴重な思い出になっている。年齢層、性別、国境を越えて、色んな人生を抱えた人たちと仕事し、互いの部屋でだべり、オフの日は飲みに行ったりした。仕事内容は、当然楽なものではなく大変だったが、その分、精神的に変われた部分も大きかったと思う。
そんな中、ひとりの中国人の女の子のことを、今でも思い出すことがある。
西安出身の20代前半くらいの子だったが、日本の映画が好きで、日本に憧れて2年間契約で城崎に仕事に来たとのことだった。
しかし、慣れない日本の温泉街で、日本語もほぼ話せない、それに加え仲居の仕事も自分には向いていないようだと言っていたので、結構辛そうだった。
私は半年契約の派遣だったので、彼女より先に仕事上がりとなり、最後の日に二人でカフェでお茶をすることにした。
私は中国語が全く分からないし、彼女も英語が全く駄目だったので、唯一のコミュニケーション手段である”カタコトの日本語”でしゃべった(笑)。
なかなか新鮮な経験である。
どんな日本映画が好きなのか聞くと、岩井俊二監督だというのでちょっとびっくり。
岩井監督の映画というと、日本では比較的ミニシアター系で上映されるので、自分の周りにも好きという人が少ない。中国の場合、岩井作品は劇場公開はされないので、特に有名ではないらしい。その代わり、コアな日本映画を扱うレンタルショップがあるそうで、彼女はそこで岩井作品を知ったとのことだった。
「花とアリス」が特に好きだと言っていた。いかにも、あの映画に出てくる蒼井優や鈴木杏を思わせる穏やかな雰囲気の子だったので、とても彼女らしい好みだと思った。
お互い日本語もあまり通じないまましゃべっているのに、こんな風にやり取りが進むのは、なんだかとても嬉しかった。しかも、私も岩井作品は好きだし。
もっと言葉が通じたら、もっと色々話せたのだろう。特にお互いの住所やメアド交換などもせずお別れした。
しかし、こういうささやかな経験は、外国人同士だと互いの国に対する思い込みを取り払うことに繋がると思う。
あれから無事に中国に帰り、元気にしているだろうか。
(写真はブログ内容とは全く無関係です。何んとなーくイメージで添付しました。)