神社で琵琶とウードの初ライブ体験
昨日、湊川神社へ琵琶の演奏を聴きに行った。
神社ライブだなんて粋で素敵。
しかも琵琶。
もともと琵琶の親せきのリュートが大好きだったので、速攻チケットを購入した。(全自由席3800円でした)
神社にお邪魔するので、まずはちゃんとお参りを済ませてから、会場である神能殿という建物へ入った。
開演前に舞台をすかさずパシャリ。
高貴な雰囲気の能舞台である。
出演者さんは3人でこんなプログラムだった。
第1部 日本の琵琶演奏・・・川村 旭芳さん
第2部 中国の琵琶演奏・・・葉 衛陽さん
第3部 ウード演奏・・・・・常味 裕司さん
第4部 奏者さんによる楽器紹介とアンサンブル
それぞれの古楽器を持って登場するお三方の姿は、どこか人間離れした神々しさがあった。
衣装の影響もあるだろう。
まるで3人とも七福神の宝船に乗ってるような雰囲気の人たちだった。
(日本琵琶を持った弁天様、中国琵琶を持ったスリムな布袋様、ウードを持った毘沙門天様、という感じでした(笑))
一番渋い音だと感じたのは、やはり日本琵琶だろうか。
ただ女性奏者さんなので、語りの音域に合わせ少し高めのチューニングだった。
中国琵琶はもう少し陽気さを感じる音だった。
バチは使わず指に付けたピックでつま弾くので、細かい音が特徴的だった。
最後のウード、これが一番リュートに近い音だった。
琵琶と形は似ていても、音的にはむしろギターっぽい。
楽器を抱えて丁寧に演奏する姿は、まるで楽器と一体化しているようだった。
特に中国琵琶のスリムな布袋様は、楽器に頬を寄せ抱くような格好で弾いていた。
自分の楽器が可愛くてしかたないという感じ。
リュート奏者にもこういう構えで弾く人がいる。
この各々違う個性を持った3楽器たちのルーツも聞くことができた。
もともとは中近東が発祥のウードが最も古い楽器らしい。
それが西に行くとリュートになり、逆にシルクロード経由で東に行くと琵琶になった、というのが大まかな経緯だそうだ。
(ただ日本琵琶はインド経由の琵琶もあるらしいので、全てがこれに当てはまるわけではないそうな)
ひとつの楽器が世界中に伝わっていくにつれ、形や音・性質などが少しずつ変わり、各々の地域にふさわしい個性に変容していくなんて、とても面白いし素敵だ。
ウードの音階について、ひとつ面白い話を聞いた。
ウードには「ド」と「レ」のみ、9分割された音が存在するそうだ。
(鍵盤で説明すると、「ド」と「レ」の白鍵盤の間に黒鍵盤が7つか8つある、という意味だと思う)
実際に音階を弾いて聞かせてくれたのだが、音が微妙にズレた感じ。
(この微妙な音階で育った現地の人は、日本のカラオケなどで歌うと「音痴」と勘違いされることもあるらしい!)
馴染みは無いけれど、でも違和感はなく、むしろ繊細な音階だった。
「明るい音」とも「悲しい音」ともいえない、またはその両方のような。
ウード奏者さんがさらに語る。
中近東の国々に対して戦争やテロなど、政治的なマイナスイメージが定着しているが、一方で、本来の彼らはこのような繊細な音域の文化を古くから持っており、人やものの細やかさ微妙さを理解できる人々なのだと。
「わびさび」文化を持つ日本人と、どこか近い感覚の様な気がした。
私が知らない奏者さんばかりだったけれど、ボリュームたっぷりな2時間、とても心が洗われるような時間を過ごすことができた。
音楽が人に及ぼす影響は、思った以上に大きいと思う。
最後にリュートについて少しだけ。
実は私のブログ名の「エディン」は、リュート奏者のエディン・カラマゾフさんから勝手に拝借している(笑)
本来とても繊細な音のリュートをダイナミックに弾く、素敵な奏者さんである。
かつてロック歌手のスティングと「ラビリンス」というアルバムでコラボしたこともある人なので、知っている方もいるかもしれませんね。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
(10年以上前のものですが、右の写真がエディンさん。中世ヨーロッパから抜け出してきたかのような人です。)