瑠璃色つらつら日記

日常のいろんな気付きやシアワセを書いています。映画、音楽、舞台、アニメなど、好きなもの多すぎて困っちゃう。

再び、田中泯さんの踊りを観てきました「題名のないオドリ」

f:id:edinn:20200217231729j:image先月、また京都で見てきたダンサー田中泯さん。

 

やっぱり素敵だった。

もう存在感が半端ない。

私が「こんな生き方がしたい」と憧れるお手本の一人だ。

 

 

コンテンポラリーとも何とも言えない即興の動き。

法則が分かりづらいので、人によっては不可解で入って行けないかもしれない。

でも私はハマってしまった(観るのは今回で2回目です)

 

 

演目終了後に30分ほどトークタイムがあり、そこで自身の踊りについて色々語ってくれた。

さっきまで舞台で異色を放っていたのに、素に戻ると泯さんは実に気さくな感じでおしゃべりしてくれる。

(細かい言葉の表現はうる覚えで書いてますが、ホントにこんな↓親しみやすい口調の方です)

 

 

「僕の踊りは、本当は肌まで観てもらいたい。だから舞台は、できるだけ皆さんに近くで見てもらえる場所がいいんですよね。」

 

「僕が踊っているのは、自分と観客との狭間の様な世界です。

自分の中に入り込んでくる、色んな人の想念のようなものが表現につながる。

それによって表情が変わり動きも変わっていく。だから同じ踊りは二度と出来ないのです」

 

「僕は昔、海外で裸で踊り一気に有名になった。そして、このまま裸で巡業し続けたらスターになれるよと言われてね、なんか嫌になっちゃったの(笑)

で、帰国したらまたすぐに踊りたくなった。毎日踊りのことを考えてる。

今の時代は、表現することが『作品』『価値』というものに縛られ、踊ること自体が窮屈になってしまったね。」

 

 

昔、とあるフラメンコダンサーが「誰にでも踊る権利がある」と言っていたのを思い出した。

 

「踊る」という行為は、プロアマ関係なく本当は誰でもしていいものだ。

だから、生活に踊りが根付いている国や地域の人たちが羨ましいと思う。

 

 

ダンス教室に通わないと踊る機会がない、とかではなく。

ダンス教室の発表会で皆に踊りを見てもらう、とかでもなく。

本当は日本人だって、日常のどこででも踊っていいはずなのだ。

 

 

だから近年、街でダンスを禁止する傾向があるのが悲しい。

さらに、大昔、イングランド軍に踊りの文化を禁じられたアイルランド人の話を思い出した。

家の外を巡回するイングランド兵に、踊っていることがバレないよう、家の中で下半身だけでステップを踏んでいたことが、後のリバーダンスの元になっていると聞いたことがある。

それだけ人間は、本来踊らずにはいられないものなのではないか?

 

 

こんなふうに、泯さんの言葉から派生して、私の中の踊りへの想いがたくさん浮かんできた。

実は、小学生のときに数年間だけ日本舞踊を習っていたことがある。

とても楽しい経験だったので、その頃に植え付けられた種が、こういう場所でうずいてくるのかもしれない。

本当は私も踊りたいんだな。

 

 

泯さんの声が響く劇場の中は、いつまでも終わって欲しくない世界になっていた。

 

 

最後まで読んで頂きありがとうございます。