映画『スタンドバイミー』の思い出をつらつらと
また更新頻度が落ちてしまいました。
気を取り直して行きま~す。
(毎回同じこと言ってる・・・(笑)^^;)
本棚の奥から懐かしい本が出てきた。
『スタンドバイミー・メモリアル』!
著名人たちがこの映画への各々の思いを綴ったエッセイ集である。
定価で購入してからずっと大切に取ってあった。
私にとっても、この作品には色んな思い出が付随している。
確か公開時に映画館で観て、その後学校で何度か観た気がする。(まだ学生でした)
私の学校では、授業を2時間潰して、クラスで映画鑑賞をさせてくれることがあった。
そのほか、部活の時間に視聴覚室を借りて、少人数で観ることも出来た。
懐かしい・・・
そして私のクラスには、リバー・フェニックスのファンが何人かいた(上の写真の、右上の男の子です)
劇場公開から何年か経っていたけれど、リバー君の人気は根強かったな。
また、ベンEキングのあの有名な主題歌を、いつも口ずさむ女の子もいた(お世辞にも上手とは言えない声が、また味わい深くて…)
私はといえば、スティーブン・キングの原作本「スタンドバイミー(原題は確か「THE BODY」)」を放課後読んでいた。
私の本に気付いた女の子達が「貸して〜〜!」と言ってきたので、しばらくクラスで回し読みになった。
彼女達とは特に仲良しだった訳じゃないのだが、クラスの皆んなが「スタンドバイミー」一色な空気の中で過ごしていたのは、すごく楽しかった。
なので、社会人になってからリバー君が若くして亡くなったのは結構ショックだった。
この映画で彼が演じたクリスも、大人になってから亡くなるのだ。
私は特に彼のファンではなかったけれど、彼に夢中だった女の子達の衝撃はいかほどだったろう。
(その分、今は弟のホアキンが素晴らしい俳優さんになってますね)
私にとって「スタンドバイミー」は、この映画と同じような甘酸っぱい感覚と一緒に思い出される。
ちょうど洋画や洋楽を通じて、外国への憧れが芽生え始めた年齢でもあったので、みんな未知の世界への好奇心でいっぱいだった。
私たちも4人の少年と一緒に旅をし、彼らの繊細な心に大いに共感した。
狭い街でくすぶる閉鎖的な大人達への フラストレーション。
それを突き破るかのように始まる、死体探しの冒険。
かなり後ろめたい目的へのワクワク感、少年らしい怖いもの見たさ。
そんな中でつぎつぎと溢れ出してくる彼らの思い。
自分達を平気で傷つけてくる大人達へのやり場のない憤怒、悲しみ。
すいも甘いも全てない混ぜになった少年達の世界は、それでもキラキラ輝いて見えた。
あの時代に初めて出会っておいて良かった映画だ。
子供時代の素敵な刷り込みは、その後一生の宝物になるのだから。
最後に、登場シーンは少ないけれど、結構美味しい俳優さん達が脇を固めてくれている。
リチャード・ドレイファス、キーファー・サザーランド、ジョン・キューザック、皆んな皆んないい味を添えてくれていたと思う。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
体調不良の頃に書いていた「好きなものノート」について
昔、体のバランスをガタガタに壊して、数年間休職していた頃、書いていたノートがある。
ただ自分の好きなものを列記しただけのノートだった。
例えば、好きな映画、好きな本、好きな場所、好きな有名人など、一行にひとつずつ書いていくのである。
気付いたときに、気付いただけを書き足していく。
好きな物事はいつでも忘れず覚えておきたいな、という軽い気持ちから思いついた行為だった。
ある程度増えていくと、それを読み返すようになった。
ただ単語の羅列を目で追っていくだけなのだが、これが妙に心地良かったのである。
そりゃそうだ・・・
自分が好きなものばかり書いてあるのだから。
読むごとに、それを初めて知った時の嬉しい感覚が瞬時によみがえってくる。
我ながら素敵なアイディアを思いついたなと思った。
このノートは、自分で自分の気持ちを上げることができるツールだと気付いた。
そのうち、もっとコアな物事、例えば「○月○日の○時にどこどこから見た空の色」とか「TVの〇〇番組で見た、芸人さん達の会話」「BOSSのCMのトミー・リー・ジョーンズ」といった、ピンポイントの細かい出来事も書くようになった。
後から読んで、その時の美しい情景やキュンとしたツボを、そのまま思い出せるような言葉で。
何年くらい書き続けただろうか。
ノートが何冊かたまった頃、日記帳に転向してから、いったん書くのをやめた。
後からよくよく思い出すと、あのノートのアイディアは私の中から出てきたオリジナルではないことに気づいた。
きっかけを与えてくれた、アニメ作品があったのである。
世界名作劇場の「愛少女ポリアンナ物語」というアニメの中に出てきた「喜びの本」というのがそうだ。
作中に出てくる車椅子の少年ジェミーは、嬉しいことがあると、それをノートに書きとめる習慣があった。
彼はそれを「喜びの本」と呼んでいた。
いわば良いことばかりを書いた日記のようなものなのだろう。
自分の記憶が確かならば、彼が出てきたのはほんの1話か2話程度だった気がする(主人公はポリアンナなので)
それでもなぜか、そのエピソードは子供ながらに忘れられず、心に引っ掛かっていたのだ。
その後、大人になった自分が体を壊し、似たようなノートを書き始めたことで、あの病弱なジェミー少年の心が、いかにそのノートに助けられていたか知ることとなった。
最近よく成功哲学などで「感謝リスト」や「成功体験リスト」を書くといいと言われる。
しかし、これらは本当に気落ちするとなかなか書けない。
そういう時は、自分を労る気力すら無くなってしまう。
その点この「好きなものノート」は、ただ自分が書いた単語を目で追うだけでいいので、「気持ちを上げなきゃ」という気負いは必要ない。
何となく目で追ううちに、勝手に心が落ち着いてくるので、気軽な遊び感覚で続けやすかった。
(自分は本当に「勉強」とか「学習」とかいう概念が苦手なんです・・・なんか「固さ」を感じちゃう。あ、あと「仕事」もね。してるけど(笑))
あの頃に比べると、だいぶ自分の本音の感情に気付けるようになったので、コントロールも上手くなったが、さらにニュートラルを保つために、もう一度あの「好きなものノート」を書き始めようかと思っている。
それにしても「好き」という感情はすごいパワーだ。
「好き」を見つけた時に一緒に感じた感覚まで思い出す。
暖かかったか、寒かったか、風が吹いていたか、匂いはあったか、どんな音が聞こえていたか、人の声はしていたか、手に何を持っていたか、どんな風景を見ていたか・・・
たくさんの「好き」をアウトプットすることで、そんな感覚も一緒に記憶できる。
そういうものが、自分の心を整理し立て直してくれる。
ということは、人からエネルギーを盗まなくても、人間は自分の中にすでに持っているもので自己治癒ができるのだと思う。
(万能とはいかないまでも)
外の物理的世界に意見を求めるのも必要だけれど、自分の中から湧き出てきた素直な感覚を大事にすることも忘れずにいたい。
1年ほど前、はてなで「人生最大の危機」というお題があった時、体の不調と向き合った経験を綴った記事があったので、参考に載せておきます。
ちょうどノートを書いていた頃の経験談です。
興味のある方は是非のぞいてみてくださいませ。
(最後の方で「サラリーマンを辞めた」と書いてますが、現在は就職してます。)
最後まで読んでいただきありがとうございます。
生まれて初めてワンピースを作ってみました
自粛期間中に、何かモノづくりをしようと決めていた。
そしてついに完成した、生まれて初めての手作りワンピース!
こんな感じに仕上がった。
白地に金模様のコットン素材。
地味すぎず、派手すぎず。
初心者なので、めっちゃシンプルなフレンチスリーブデザインで。
ファスナー不要のゆったりシルエットにした。
本を見ながらだったが、失敗もなく完成出来たのがホント嬉しい‼️
以前、↓のようなTシャツのカスタマイズはしたことがあるけれど、丸々作ったのは初めて。
(興味のある方は↓も是非読んでください)
世の中の既製品で、心から気に入った服にほとんど出会ったことがないので、いつか作ってみたいと思っていたのだ。
自分で好きな生地を選び、好きなデザインで作るって、最高の満足感である。
一歩踏み出せたな、私。
若干雑な箇所はあるけれど、初めてにしては良くやったと思う。
自分にもクリエイティブ部分がちゃんとあったんだなと分かるのは、とても嬉しい。
多分、誰でも何らかの形で持っているモノなのではないかと思う。
型紙を取る作業から完成までは数日間ほど。
でも実は、学生時代の家庭科での裁縫は嫌いだったのだ。
古い型のミシンしかない学校だったので、何度生地を逆走させたことか!(笑)
多分あの頃の裁縫は「お勉強」としてやっていたから嫌いだったのかも。
「遊び」にした途端に楽しくなった(笑)
「仕事」も遊び感覚でやれるといいのに・・・
(真面目な方からヤジが飛んできそう)
今はミシンを扱うのが楽しいし、手芸店で布を選ぶのも楽しい。
飽きるどころか、もっと作ってみたいと思っている。
次はロングワンピースに挑戦するつもりで、生地を買ってきた。
今度はファスナーを付けてみよう。
ファスナー付けが出来るようになれば、もう少し体のラインに沿ったタイトなデザインにも挑戦出来るはず。
世界にたった1枚の服を自分で作り、身にまとうのはとても幸せである。
このPC画面はドリフの「8時だよ全員集合」の志村けんさんである。
作っている間、ずっとAmazonプライムで垂れ流していた。
ということは、今回このワンピには、ドリフがしっかり織り込まれているかも・・・!?
着るたびに、志村けんさんや長さんを思い出すことだろう。hahaha
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今日のカフェ風景
GW中、休業していたカフェにて久しぶりに一服。。
GW以外の自粛期間も、ここは営業を続けている。
座席を大幅に減らし、全席禁煙にしての営業再開だった。
なので今回はいつもは利用しない、かつての喫煙席側に座ってみた。(タバコを吸う方には申し訳ないです)
久しぶりの店内では、ちょっとしたアクシデントが・・・(笑)
まず、同じカウンター席のおじいちゃんの口中音。
おじいちゃんだから仕方ないか・・・と諦め、そのまま過ごす。
続いて、後ろの方で大きな音がしてびっくり!
ふり返ると、ひとりの女性が椅子を叩き付けた音のようだった。
どうやら、フロア内の外国のお客さんの会話をうるさいと思ったらしく、自分の席の椅子で知らせたという・・・haha、もうちょっと違うアプローチしようよ。
うるさいと言うほどじゃなかったと思うんだけどな。
(でもその後、さすがに外国の方たちは声のトーンを落としてました)
そして、時折大きな咳ばらいをする女の人が・・・
ひとつの空間で何か違和感が続くと、私はよく場所を移動して、自分なりの空気の入れ替えをする。
でも、今日は不思議とこれらの出来事があまり苦にならなかった。
このくらいの出来事は、まだ可愛らしいものかもしれない。
こういう、皆で同じ我慢をしているご時世、人が世の中に存在してくれてるだけでいい。
人がごっそり減ってしまった時代に比べたらどれだけマシだろう(…という気持ちになるのです)
短いですが、最後まで読んでいただきありがとうございます。
海でアーシングをしてきました
アーシングという言葉をご存知だろうか?
私は最近はじめて知った。
山や海に行って、裸足で土の上を歩き、じかに地球に触れることだそう。
アース(=earth 地球)にingを付けてアーシング(=earthing)。
これにはいろいろな良い作用があるといわれている。
地球と直接つながることで、本来持っていた動物的感や潜在意識が開花しやすくなるらしい。
また、体にたまった電磁波を抜く効果もあるそうだ。
というわけで、連休中、お散歩がてら少しだけ海に行ってきた。
ペディキュアくらいしとけば良かったな・・・(笑)
靴を脱いで砂浜に足が触れる。
久しぶりの感覚にちょっとゾクゾクした。
・・・砂ってこんなに気持ち良かったっけ。
前に戸外で裸足になったのはいつのことだったろう。
思い出せないくらいはるか昔だ。
そのまましばらく砂浜をサクサク歩いてみた。
石や貝を踏んづけても、気にせずサクサク歩いてみた。
私の中の重たい要らないもの、全部全部お返ししますョ。
吸い取ってくださいな。
遠くで一人サーフィンをしている男性がいた。
これまた最高にかっこいいアーシングだ。
(ちょっと傷跡が見えて恥ずかしい・・・)
さすがに自粛期間なだけあって、人はまばら。
そして裸足の人もあまりおらず、靴を履いたままの人の方が多かった。
足が砂まみれになるから面倒ではあるけれど、
でもこのアーシング、時々やった方がいいなと思った。
「自由」「野生」「解放感」そういうものが足の裏から伝わってきて楽しい。
皆さんにもお勧めします、アーシング。
足を怪我しない安全な場所でやってみてください。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
こんな時に、自分にも出来ることが「ある」のは幸せ
先日、いつも行くスーパーで、チーズが安くなっていたので買ってきた。
これはイタリアのハードチーズ「グラナパダーノ」。
ハマって以来、たまーにオフ価格の時に購入している。
味は塩気が少なくさっぱり系。
いつもこんな風にスティック状に切って、ホロホロと崩れる食感を楽しんでる。
日本のチーズには無いこの自然な食感がたまらない!
別名「キッチンハズバンド(台所の亭主)」と言われるほど、イタリアではメジャーなチーズらしい。
こんなんでイタリアに貢献できるかどうか分からないけど、イタリアを思いながら購入させてもらった。
(20%オフだけど、ゴメンナサイ^^;)
最近、少しでも経済を回すことに貢献出来ればと、あちこちで買い物をするようにしている。
つい最近は、名古屋のミニシアター「名古屋シネマテーク」でパンフレットをオンライン購入した。
20代の頃よく通った映画館なので、経営は大丈夫だろうかと心配だった。
微々たる金額の買い物だけれど、送られてきた封筒には「ありがとうございます」と手書きのひとことが!
そしてパンフレットはこんなクリアファイルに入れられていた。
これ、あきらかにグッズ品だよね・・・
おまけで付けてくれたようだ。
う、嬉しい・・・
気遣いがきっかけで買い物をしたら、向こうからも気遣いを頂いた(あ、勿論ちゃんと欲しい商品でしたけどね)
先方には何も言わず、フツーに注文したのだけど。
ここは、 私にとってニューシネマパラダイスな映画館だ。
古びた雑居ビルの一角、
看板がなければただの事務所にしか見えない異色な雰囲気、
映写室を横目に見ながら劇場に入っていく、変わった造り(映写室のドアは上映時以外はいつも開かれており、中が丸々見えるのだ。)
ホントに「ニューシネマパラダイス」のアルフレードが立っていそう。
どれを取っても映画好きならキュンキュンしてしまう、
映画館自体が映画みたいな場所だ。
また機会があれば訪れたいな。
自分は今のところ仕事がありラッキーな人間だと思う。
先々まで雇ってもらえるかは不明だけれど、こういう時こそ今できることに感謝したい。
不足感や不安に引きずられ、「無い」にフォーカスするのでなく、「ある」ものに感謝したい。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
駅で見かけた男性、コロナ自粛モードから思うこれからについて
先日の朝のこと。
駅前のベンチに座り、ひとり大きな声で喋る男性がいた。
行き交う人々を見ながら、何か言っている。
私は信号待ちをしながら、目を閉じて聞き耳を立ててみた。
内容はよく聞き取れない。
でもこれ・・・喋ってるんじゃなく、歌ってるのか?
言葉にリズムがある。
歌ってるみたいだ。
心が弾けちゃった人だったのかも知れない。
でも、その時の私は、その人の声や居住まいに、どこか解放感を感じた。
なぜかその男性から、荒んだもの、暗いものをあまり感じなかった。
あらゆる束縛から解放されて、気持ち良く歌っていた人に見えたのだ。
あくまで私の主観なので、その男性の実際は分からない。
誰もが「解放感」を望んでいる今だからこそ、そんな風に感じたのかも知れない。
正直、あのくらい自由度の高いことを街中でしてもいいんじゃないか?とさえ思った。
日本は、壊れるほど頑張ってしまう人、我慢してしまう人が多すぎる。
(・・・かくいう私もね(笑))
これから多くの人が、自分の時間を大切にする価値観に変わっていくといい。
多くの人が変わると、組織自体も変わらざるを得なくなるだろう。
大いに結構。
そして、これまでの右にならえの価値観、
出る杭は打たれる風潮、
人の目を気にせねばならない空気感、
1日のほとんどを会社のために捧げる生活は終わり、
個人の個性が重要になる時代が来るといい。
組織に依存するのでなく、自分の人生の責任を自分で担う。
そんな強さを大切にし、お互いに学びシェアする時代が来るといい。
最後まで読んで頂きありがとうございます。